紹介します。

「お疲れ様、お帰りなさい」旧日本軍の航空機を自腹で購入し、日本に戻した男性

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毎週月曜あさ5時~6時・火曜~金曜あさ4時30分~6時に放送しているニッポン放送『上柳昌彦 あさぼらけ』で放送中の朗読コーナー『あけの語りびと』。

今回は、戦時中の日本の艦上偵察機『彩雲』の尾翼に偶然出会い、日本に持ち帰った飛行機愛好家の物語をご紹介します。

12月8日は、太平洋戦争・開戦の日です。いまから76年前の、昭和16年のことでした。この戦争で、ゼロ戦や隼をはじめ、数々の飛行機が登場しましたが、『彩雲(さいうん)』という艦上偵察機を、ご存知でしょうか。

彩る雲と書きますが、虹色に輝く雲の意味で、良いことが起こる前触れ、といわれています。

彩雲は、広い太平洋上、高速で偵察が行える艦上偵察機として昭和18年に試作機が完成し、翌19年に運用が開始。3人乗りで、最高時速639キロを記録、旧日本軍で最速の航空機でした。

しかし、昭和19年になると、連合艦隊は、ほぼ壊滅状態、彩雲を搭載する空母はなく、陸上での運用で、太平洋上の島々の偵察が、主な任務となっていました。

「我ニ追イツクグラマン無シ」グラマンと呼ばれたアメリカ戦闘機「F6Fヘルキャット」さえも、追いつくことができなかった、という逸話が残っています。

さて、宮城県大崎市に住む、飛行機愛好家の小野寺強さん44歳)に、アメリカに住む友人から、こんなメールが届きます。

「アンティークショップに日本の昔の飛行機の部品が売っているよ」

早速、ショップのホームページを見た小野寺さん『まさか!なんでここに?』と我が目を疑います。

「昭和19年6月22日、アメリカ軍の攻撃で、テニアン島の飛行場に駐機していた彩雲が破壊されたんですが、私が持っている『世界の傑作機』という雑誌に、その白黒写真が載っているんです。機体番号も同じ! 弾丸の跡も同じ! 壊れ方も同じ! そのままの彩雲の尾翼が売っていたんです」